ラバー

僕と彼女はホテル街の近辺の薬局に車を停めて夜空を見上げた。産まれる前に人は星だったらしい。そして、死んだら星に帰るのだという。おそらく今見えているのは何万年前に死んだ星の最後の光で同時に誰かがこの世に産まれたのだろう。そうでなくても僕らは何億の墓標の上に成り立つ既に汚れてしまった奇跡の一片だ。愛の前に壁がありこの世に生まれた生命は限りなく0に近い確率でしか意味を成す事が出来ない。ほぼ全ての生命はゴミ箱の中で息絶える。ティッシュやゴムの中で惨めに死に晒す。思い人に別の思い人が居ると知って落ち込んだりニキビ面同士の喧嘩に負けて自分を慰めたことがあったか。どうすることも出来ず無力で言葉にならなかった感情を淫楽に耽る事で体外に排泄した数を覚えているか。もし地獄があるとすれば生命になれなかった生命の阿鼻叫喚で満たされているだろう。もし輪廻があるとすればあなたの来世は高確率でゴミ箱行きだ。どちらも無くて良い。僕らは死んだら隣り合わせの星になると信じている。愚かにも何かの死を感じる事でしか僕らは悲しむということすら出来ない。何かの生を感じる事でしか僕らは喜ぶことすら出来ない。今夜、二人は此処ではない何処かへ行けると思う。二人の間に建つ愛の前の壁が二人の生と死を祝福してくれている。僅か数mmの生と死の狭間、其処に僕らを生命たらしめる何かがあるのだ。 BGM あかつき - パスピエf:id:hal_7p:20190802003252j:image

通行人

世の中には色々な種類の人間がいるが簡単に軽犯罪を犯す人と僕は絶対付き合いたくないと思っている。それは犯罪の重さに関わらずその行いによって当人が感じる小さな罪悪感であったり、結果生じる無意識的な価値観の移ろいにこそ神は宿ると思っているから。関係ないが僕が子供の頃、Grand Theft Aut◯というR-18のゲームが流行っていた。簡単に言えば車を盗み、通行人を殺すゲームだ。幼い僕の友人達は見境無く機関銃をぶっ放しゲーム内で殺戮を行っていた。首を日本刀で斬ったりナイフで倒れた人を追い討ちしたり、その光景を見て僕はショックを受けて食べたばかりの食事を戻しそうになってしまった。彼等はもう大人になれたのだろうか。僕だけが19歳の思い出の中に、過去の母や彼女の羊水に浸り恵まれた環境に満足しないジャンキーのような最低の屑男に成り果てて今こんな文章を書いている。そんな気がする。人生の道は人それぞれだが、スクランブル交差点を歩く通行人一人一人に人生があり、そして殆どの人生は無意味で退屈なまま、あの日彼等が虫けらのように虐殺したP◯Pの画面の中の通行人達の人生と変わらず誰かの脳内にたまに少しこびり付いては年月に侵され無に帰す。S◯NYのぼったくりメモリーカードを流れる微弱な電流と僕らは何も変わらない。BGM Cambell - 須田景凪f:id:hal_7p:20190801104625j:image